NICUのある大学病院で 2ヵ月半の入院生活

NICUのある大学病院で 2ヵ月半の入院生活前置胎盤
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大学病院への搬送。そして入院の続きです。

自分の置かれた状態がよくわかっていないままに始まった入院生活。
この時ちょうど妊娠24週で、まさか出産までずっと病院から出られないとは思ってもいませんでした。

私が搬送されたのは御茶ノ水の順天堂大学病院でした。ここはNICUがあり、週数が足りずに赤ちゃんが早く生まれてしまった場合でも対応できる設備が整っていて、出産予定だったクリニックの院長先生が入院できるよう手配してくださったんです。いま思い出しても本当にありがたい…。

今回は順天堂に入院してから34週で家の近くの病院に転院するまでの10週間について記録していきます。

最初の一週間

入院中の3ヶ月間は気持ちの浮き沈みが激しく、特に最初の1ヶ月間は泣いては開き直るを繰り返していました。逆に身体的に一番辛かったのは最初の1週間と帝王切開の出産後だったかなー。(帝王切開のつらさについては別の機会に…)

入院1~3日目

入院当初は、緊急性が高い患者さん用の部屋に入りました。2人部屋でしたが、一人っきりだったのはほんの数時間で その日の晩にもう一つのベッドも埋まりました。私がその部屋を出てからもずっと満室の状態が続いていて、緊急の妊婦さんが次々入院しているようでした。ナースステーションのすぐ隣にあって、部屋の入口に担架が収納されているためにひっきりなしに人がやってくるのでかなり騒々しかったです。

トイレと診察以外はベッドの上から離れることを許されず、24時間ずっと張り止めの点滴を差しっぱなし。そして午前と午後に一回ずつNSTを行います。

NSTとは
ノンストレステストのこと。陣痛などのストレスがない状態で行う検査。
お腹にモニター用の器具をつけ、赤ちゃんの心拍とお腹の張りをチェックする。

これがだいたい1回あたり20分くらいかかります。長い。その間は寝返りができなくてつらいです。しかもお腹の中で赤ちゃんが移動してしまって心拍が確認できないと再度取り直しになります。次男は週数もまだ少なくよく動く子だったのでしょっちゅう心臓の位置が迷子になり、40~50分もNSTの機器をつけっぱなしになっていることがしばしば。
たまに忘れられて測定用紙が床にまで到達することも………。

症状が落ち着くまでは毎日午前中に先生による診察と膣内の洗浄がありました。診察室へ歩いていくことは不可。看護師さんの押す車いすに乗って移動します。
先生の許可が下りないうちはシャワーを浴びることができないので、診察が終わった後、診察台の上に乗ったままで看護師さんにお股を洗ってもらうという経験もしました。体を拭いてもらったり足湯をさせてもらったり、ベッドの上で横になったまま頭を洗ってもらったりといたれりつくせりでした。
看護師さんたちは慣れっこで何も感じないのだろうけど、やってもらう方としてはなかなか恥ずかしかったです。

トイレに行くのにも車椅子を使わなければならず、その度にナースコールで看護師さんを呼ぶことになります。みんな笑顔で「いつでも呼んでくださいね」とは言ってくれるんだけど、忙しそうにしているのをみると気が引けてしまって…。でも我慢するわけにもいかないしと密かに葛藤していました。

もっと高い安静度が必要な場合はトイレすら行けないらしいので、私はまだラクだったのかもしれません。私の入院から半日遅れて隣のベッドに入院した方はトイレを許可されていませんでした。カーテンで仕切られていたので一度も顔を合わせることはありませんでしたが切迫早産での入院だったようです。

入院4日目

この日、ようやく自力で歩いてトイレに行く許可が出ました! これでだいぶ肩の荷が下った~💦
点滴
時を同じくしてシャワーも解禁に。シャワーを浴びるときは一時的に点滴を中止するのですが、針が腕に刺さったまま上にぐるぐる防水のビニールを巻かれます。

シャワーが終わってベッドに戻ったら再度看護師さんに来てもらって点滴再開。24時間の点滴は変わらないけれど、自分で勝手にトイレとシャワーに行けるようになっただけでずいぶんと開放感がありました。

地味に辛かったのは血栓予防のための着圧ソックス。ひざ下まであるハイソックスみたいなものなのですが、ゴムの当たるところが真っ赤なミミズ腫れになり、痒くてたまらない。

ステロイド入りの塗り薬を処方してもらうほどでした。一ヶ月ほど経つころには塗り薬なしでも肌が荒れなくなり、一日中履いていてもかゆくなることはなくなりました。

入院5日目

毎日のNSTの結果 お腹がそれほど張ることはないと判断されたため、張り止めの薬(ウテメリン)を点滴から内服薬へ切り替えました。ただし、すぐに点滴に戻す可能性もあるとのことで、腕の針はしばらく刺しっぱなしにされました。

ウテメリンは点滴から内服薬へ変える際に「張り返し」と呼ばれる強い張りがくることがあるらしく、その場合はまた点滴に逆戻りしてしまうらしいです。

その場合は私はそれほどキツイ張りはなく すんなり移行できました。

内服薬への変更とともに、部屋も2人部屋から6人の大部屋へ移ることができました。看護師さんから「個室は1日3万円かかる」と聞いてびくびくしていたけど、なんとか大部屋の空きがあってよかった。

ちなみに最初に入っていた2人部屋は重症患者用の部屋なので保険が適用されて追加費用はかかりませんでした。

5日間の間に自分やエンさんの会社に提出する診断書を書いてもらったり、保険会社に連絡したり、体を動かせないながらもバタバタした日々でした。このあたりで入院生活にもなれ、少しずつ落ち着いてきました。

入院7日目

腕に刺していた針を抜いてもらったのでシャワーも普通に浴びれるように!

この日のツイートを見返してみると、母がお見舞いに来てくれていたようです。母は仕事をしばらく休んで我が家に滞在し、家事やリュウくんのお世話をやってくれていました。

面会に来た母が「明日から三連休かぁ〜」と言いながら帰っていった。「いつもなら楽しい三連休…」ともつぶやいていた。三日間息子の相手は大変だと思うが、どうぞよろしくお願いします。

2歳児の相手で疲れ果て、たった1週間でげっそりしてました(笑) 母は7月末で一度新潟の実家に戻り、9月にもう一度きてくれて私の出産までずっとお手伝いしてくれました。

母のいない8月の1ヶ月間はなんとエンさんとリュウくん二人きりでの生活! エンさんは時短勤務でなんとか乗り切ってくれました。

母とエンさん、そして母を送り出してくれた父。さみしいのを我慢してがんばってくれたリュウくんには今でも感謝しています。

繰り返す警告出血

病院の先生方は私の症状が落ち着いたら一度退院させて、また出産が近づいたら入院するようにイメージしていたようなのですが、残念ながらそれは実現しませんでした。

というのも、私は出産までの間に警告出血を合計で6回も繰り返してしまい、一度も退院ができなかったからです。そのうち4回は御茶ノ水の順天堂大学病院に入院中に起こっています。

いずれも明確な原因と思えるようなものはなく、本当に「突然」出血しました。

1回目の出血

入院のきっかけとなった7月11日の出血です。詳しくはこちら

警告出血ー妊娠24週で突然出血しました
こんにちは、なおです。 私は次男の妊娠時に前置胎盤になってしまい、3ヶ月間の入院を余儀なくされました。 入院していた時に書いた日記ブログを元に、当時を振り返って記録していこうと思います。 前置胎盤て何? という方は前回の記事を...

2回目の出血

8月6日の水曜日、朝トイレで少量の鮮血が出ました。最初の出血以来続いていた茶色のおりものがようやく落ち着き、週明けに退院できるかもという矢先の出来事で、結局退院は白紙になりました。

3回目の出血

8月15日土曜日でした。実はこの日に退院することが決まっていたのです。

臨時で息子を保育園に預かってもらい、夫が迎えに来てくれました。会計も無事終わり、荷物をまとめてナースステーションに挨拶して1階に降りたところでまた出血。30分も経たずに病棟へ舞い戻ったのでした。

3回目はさすがに泣きましたね。夫にしがみついては泣き、見回りに来た看護師さんの優しい言葉に泣き。その後一度も退院の話は出ませんでした。

入院当初は30週までに胎盤が動く可能性も視野に入れ、出血がおさまれば退院して、元々通っていたクリニックに戻れることになっていました。
ところがMRIの結果、子宮口をがっちり塞ぐ全前置胎盤だと判明し、クリニックでの出産は不可能に。お腹の子が34週になるまでは、NICUのある御茶ノ水の順天堂病院にかかり、34週を越えたら、自宅に近い大きな病院へ転院することになりました。

このときに出産まで入院する覚悟をしました。初めは一日でも早く帰りたい、何もできなくても家に帰ればエンさんとリュウくんが寂しい思いをせずに済むんじゃないかと思っていました。

しかしこんな状態で家に戻っても心配をかけるだけです。エンさんも、私が一人で家にいるときに何かあると大変だから出産まで入院してる方が安心できると言ってくれました。

4回目の出血

8月30日の夜中でした。

目が覚めて、トイレにいって腰を下ろした瞬間でした。便器の中にまたもや鮮血が。正直、「またかー」といった感想でした。継続して出血しているようには感じなかったので、それほど焦りはありませんでした。

トイレの個室の中にあったナースコールを押して看護師さんを待ちます。やってきた看護師さんは広がった血を見て顔色を変え、すぐに車いすを持ってきてくれました。そしてそのまま診察室に直行。

診察台の上でぼんやりしていると当直の先生がやってきて、「プレビア(前置胎盤)のなおさん、出血しました」とPHSで誰かに連絡を取っているのが聞こえました。この時も私は「本当にプレビアっていうんだぁ。コウノドリと一緒だー」とのんきに考えていました。でも先生に見透かされたように「出血に慣れるのはよくないよ」と言われてぎくり。

しばらくすると他の先生もやってきて診察。どうやら溜まっていた血が出てきただけで緊急性はないとのこと。その日はベッドに戻りNSTで赤ちゃんの心拍を確認して様子を見ることになりました。

少しでもおかしなことがあればすぐに報告するように言われたので、それ以降ほんの少しでも血が出た場合には必ず報告するようにしていました。

5回目の出血

9月10日に少量の出血。それ以降の数日間は止まったかと思えばまた出る、を繰り返しました。何回出血したか数えるのも忘れてしまったくらい。
その度に診察を受けてNSTをして、経過観察の状態が続いています。

子宮頸管は3cm程で充分な長さがあり、すぐに赤ん坊を取り出すことにはなリませんでしたが、微量とはいえ頻度が増してきているので不安で仕方なかったです。
そして9月12日には、ウテメリン錠の増量が指示されました。入院5日目に点滴が外れてからは1日3錠の内服で済んでいたのですが、1錠追加して4錠に。
それでも出血が落ち着かなければ、再び点滴による投与に切り換えると言われましたが、この時はなんとか錠剤だけで乗り切ることができました。

6回目の出血

10月2日に転院先の病院で出血。ベッドの上で横になっているときでした。これはまた別の記事で詳しく書きますね。

6回も出血して思うのは、「本当に警告出血って前兆がない!」ということです。

痛みも違和感もなく突然血が流れ出てきます。言い方はアレだけど、「あれ、尿意はなかったのにおもらししちゃった?」くらいの感じ。私の場合はお腹の張りも特には感じませんでした。

順天堂の先生曰く、24週の出血以降、これだけ警告出血を繰り返していることを考えると、クリニックの院長先生が救急搬送した判断は間違ってなかったそうです。 よく32週まで頑張ってるね! あともう少しがんばろうね。と励まされました。

先生たちの発言を振り返ってみても、ひょっとしたら最初の出血のときに生まれていてもおかしくなかったのかも。警告出血を何度も繰り返していながら、出産まで大出血を経験しなかったのは本当に運がよかったと思います。

転院

おなかの子が34週になるまではNICUのある順天堂大学病院に入院、34週を越えたら自宅に近い系列の病院へ転院。

そう聞かされていたのでじっと待っていたのですが、なかなかその話が出ないまま33週に突入。いつ転院できるの~?とモヤモヤしていました。

ところが突然、看護師さんにようやく明日転院ですね~と言われてびっくり。

なお
なお

えっ。私明日転院するんですか?

どうやらすでに転院日が決まっていたのに私には通達されていなかった模様。

本当にお世話になって感謝もしているのですが、そういった事務手続きがお粗末な病院でした。(他にもいろいろあった)

急いで母に連絡。翌日転院なので手伝いに来て~とヘルプを送ると了解の返事。

いつ転院になってもいいように荷物を少なくしていたので準備自体はすぐにできました。

いよいよ出産予定の病院に転院です!

コメント

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