警告出血ー妊娠24週で突然出血しましたの続きです。

大学病院へ救急搬送

救急車に乗り込むとストレッチャーに寝かされ、救急士さんによる問診が始まります。具合は悪くないか、熱はないか、アレルギーは持っていないか、どのような症状なのか。同乗してくれた助産師さんが補足をしてくれてとても助かりました。

一通りの質問が終わると、救急車はサイレンを鳴らしながら走り始めました。どのくらいの時間乗っていたかは覚えていませんが、午後の2時くらいには到着したような気がします。

着いたのは、御茶ノ水にある順天堂大学医学部附属順天堂医院

救急車の後ろのドアが開いてもそのまま横になっているよう指示され、ストレッチャーごと移動しました。ずっと天井を見上げたまま廊下をくねくね曲がるので目が回りそうになりましたが、なんとか気持ち悪くなる前に処置室に着きました。

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処置室にて

ストレッチャーと処置台の高さを合わせてもらって、自力で横にずれて移動します。
重症ではなかったからか、ドラマなどでよく見る看護師さんやお医者さんが「せーのっ」で移動させる方法ではありませんでした。

自分で動いてくださいと言われて拍子抜けしながらも、やっぱり自分はそこまでの緊急事態ではないんだとほっと胸を撫で下ろします。看護師さんたちがせわしなく診察準備をしている間、部屋の外で救急隊員さんと助産師さんが私の状況を説明する声が聞こえました。

することもなくぼんやりしていると、看護師さんから「救急隊員さん帰られますよ、お大事にとおっしゃってます」と言われ、慌てて「ありがとうございましたとお伝えください」と返しました。処置台の上で動くことができず、直接顔を見てお礼を言うことができませんでしたが、優しく丁寧に接していただいて今でも感謝しています。

その後すぐに助産師さんが枕元に来て、「なおさん、私も戻りますね。お家のことで心配なこともたくさんあると思うけど、まずはお母さんと赤ちゃんを大事にしてね」と声をかけてくれました。

つい数十分前にパパとなおたろと離れた時の寂しさがまた戻ってきて、助産師さんに置いていかれることにものすごい不安を覚えました。かといって引き止めるわけにもいかず、お礼だけ言ってお別れしました。

そして現れた先生は、今まで会った産科医の中で一番若い男の方でした。こんな状況でありながら、心の中で「若い男の先生だ…」と若干の抵抗感がでてしまう私。先生はお仕事ですから、当たり前ながら淡々と診察を進め経膣エコーで子宮と赤ちゃんの様子を確認。

そして以下の説明をしてくれました。

  • 現在は出血が止まっていること
  • 今すぐ赤ちゃんが出てくるほど切迫した状態ではないこと。
  • 次いつ出血があるのかわからないのでこのまま張り止めの点滴を続けること
  • 細菌に感染していないか血液検査をして様子をみること。

その説明はクリニックの院長先生がしてくれた内容と一致していて、私自身の理解も早く安心して聞いていられました。

産科医の先生が二人とも同じ説明をしてくれるというのは精神的にかなりほっとします。セカンドオピニオンって、誤診を防ぐだけじゃなくて気持ちの安心のためにも必要なのかもしれないですね。(今回のはセカンドオピニオンではありませんが)

母への連絡

「病室の準備が出来次第移るので、それまでこの処置室でお待ちください。携帯電話での通話も可能ですので、ご家族へ連絡も取れますよ」と看護師さんが言ってくれたので、横になったまま新潟の母(ばーば)に電話。パパはなおたろをを連れていて身動きが取りづらいので、助っ人にきてくれないかと頼むためです。

2~3時間前に、二人目も男の子だよー!なんて明るいLINEを送ったばかりなのに、出血したなんて連絡するのは気が重かった。 「あのね、あまり心配しすぎないで聞いてほしいんだけど…」から始まった電話は、おそらく母を身構えさせてしまったんじゃないかなと思います。

今日これから来てほしいとの突然のお願いに驚いていましたが、少しの間の後、わかった、と言ってくれました。電話を切った後、今度はパパに連絡。ばーばが来てくれることになったから、連絡を取り合ってくれと頼みました。

病室へ移動

正確ではありませんが、その後一時間くらい処置台の上で待機していたような気がします。(ほんとこういう時って時間の感覚がなくなりますね!)
喉が渇いて仕方なかったけど、先生に確認するまで待ってくれと言われなかなか水を飲ませてもらえないのが辛かった…。

ようやく部屋の準備ができたとのことで、車椅子で連れてこられたのは、ナースステーションから一番近い二人部屋でした。ここは保険適用になる部屋らしく差額ベッド代はかからないとのこと。(おそらく重症患者用の部屋なんだと思います)

この日はもう一つのベッドは空で一人きりで過ごすことになりました。

この頃には気持ちもだいぶ落ち着いてきて、会社に連絡しなきゃ、とか保険会社からお金でるかな、とか現実的なことを考えられるようになっていました。

夕方になると母とパパがなおたろを連れて病院に来ましたが、私はトイレ以外はベッドから動けず、病棟に15歳以下は入れないとのことで息子には会えずじまい。入院セットを置いて三人は帰っていきました。

その日の夜は、携帯でずっと前置胎盤について調べていました。中には知りたくない怖い情報もあったのですが、何も知らない方がずっと怖かった
携帯を持つ手が震えて、心臓がドキドキしていました。

↑実はこれ、張り止めのウテメリン点滴の副作用だったらしいのですが、この時はそれもわからず「私、動揺してるなぁ」と苦笑したものです。

この日の時点では、入院は2週間程度と言われていました。(実際はこのまま出産まで退院できませんでした・笑)
こんな風にして私の入院生活は始まりました。

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